「徒然草」は吉田兼好が晩年、右京区双ヶ丘東麓の庵で執筆されたらしい。
文章も面白いし、地元の話が出てくるので身近に感じられます。
「大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれけるところへ、医師忠守(ただもり)まいりたりけるを、侍従大納言金明(きんあきら)卿、「我朝の物とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられけり。「唐瓶子(からへいじ)」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちてまかり出でにけり。」
また「仁和寺なる法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂く覚えて、ある時思立ちて、ただひとり徒歩よりまうでけり。極楽寺、高良などを見て、かばかりと心えて、帰にけり。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、まいりたる人ごとに、山へ登りしは、何事かありけむと、ゆかしかりしかど、神へまいるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも先達はあらまほしきことなり。」
最後に「丹波に、出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかや領(し)る所なれば、秋の頃、聖海(しょうかい)上人、其外も人あまた誘ひて、「いざたまへ、出雲拝み給へ。掻餅(かいもち)召させん」とて具しもていきたるに、をのをの拝みて、ゆゆしく信起こしたり。
御前なる師子、狛犬、背きて後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや、この師子の立ちやう、いとめづらしく、ふるきゆへあらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じ咎めずや。むげなり」と言へば、をのをの怪しみて、「誠に他に異なりける。都のつとに語らむ」など言ふに、上人なをゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「此社の師子の立てられやう、定(さだめて)習ひあることに侍らん。ちとうけたまはらばや」と言はれければ、「そのことに候。さがなき童どものつかまつりける、奇怪に候事也」とて、さし寄りて据へ直してければ、上人の感涙いたづらに成にけり」
※ブックカバーチャレンジ:フェイスブックで始まったリレーチャレンジ。「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」
学生時代に能楽にのめり込みました。
烏丸今出川を少し上がったところの河村能楽堂で、
今は亡き河村晴夫先生のもとで稽古をしました。
まるで決闘が展開されているような張り詰めた空間と悠久の時間の流れが交わる。
きらびやかな衣装をまとったシテが過去の挫折の中から深い執念とともによみがえり、
雄叫びのような掛け声をかけながら囃し立てる囃子の音楽と、
追い立てるような地謡の声楽にあわせて、舞を舞う。
室町の貴族の雅と戦国武将の武によって育まれたすごい芸術だと思いました。
大好きな鴎外の全集の一巻に「能について」という目次を発見したときには、
胸躍らせながら頁を急いでめくりました。
ところが、たったの一行しかないのです。
「能は極端まで様式化したる人間の行為である。」
さすが軍人であり、科学者でもある文豪の評価だなあ、と感心しました。
簡潔で正確無比な表現ですね。
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今は亡き上田正昭先生の古代史の講義は、笑いあり、発見あり、の人気あるものでした。
15年ぶりにお会いしたのは、曽我部のご自宅でした。
その後何度かご指導いただきました。
最後となってしまった面会のときに「日本人のこころ」という書き下ろしの著書を賜りました。
手渡しの際「今回は正面切ったんや」と常になく興奮した面持ちでした。
多くの日本文化論は自己礼賛で終わりますが、先生の論は、一級の学問の裏付けの上に、
日本に対する愛情をもちながら「自信と過信とは異なります」と、
後者を制しながら前者を育みます。
「先憂後楽」という言葉は、我々の弱点を暴いている気がしてなりません。
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新型コロナウィルス感染拡大により影響を受ける事業者支援の「持続可給付金」のための、申請サポートセンターが開設されていますので、お知らさせていただきます。